別海フィールドの概要と特徴

北海道大学名誉教授 牛沢 信人

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  1. 地形・地質・地史の面からみた調査地の概要と特徴
    1. 位置
    2.  別海フィールド(創価学会北海道研修道場敷地)一帯は、野付・風蓮道立自然公園の北部にある。 本フィールドは、主要河川のひとつである当幌川が野付湾に注ぐ、ほぼ最下流の右岸の部分を占めている。 野付湾は、地形的にも、また観光の面でも全国的に著名な“野付崎”に抱かれた、長径10km程度の浅くて小さい湾である。 当幌川はたまたま、この湾の最奥部(最北部)近くで湾に入りこんでいる。(図1図2
      図1
      図1 別海フィールド(研修道場)位置図
      図2
      図2 フィールド内見取図


    3. 地形
    4.  この区域は、フィールドの西南方に連なって広大な面積を占める、いわゆる根釧台地が野付湾に接する、末端の一部をなしている。
       台地は、遠く西方および南方では、海抜高度30m以上80mにも及ぶ高位の段丘をつくっているが、東方の湾の方向に向かって次第に高度を減じ、湾岸近くでは25〜10mの、巨視的には平坦に近い、低位の海成段丘をなしている。
       この低位段丘地域は、公園地帯南方の太平洋岸と、北方の知床半島ならびにその延長部との両隆起帯の間にあって、沈降しつつあるところでもある。 この南方と北方の隆起帯は、地形的に高く、地質的にはより古い基盤地層が盛り上がって露出している脊斜構造地帯である。 南部の太平洋岸近くでは、高位段丘をつくり、さらに基盤の根室層群(白亜紀)を露出する。 他方、北部の知床半島とその延長部では、一連の火山列が、新第3紀の基盤岩層を破り、かつその上に噴出している。
       上記両者の隆起帯に挟まれた段丘地帯は、主として洪積期の厚い火山性の海成堆積層で占められている。 段丘末端の本フィールドの域内では、海抜高度は、最高でわずかに凡そ12m程度、最低で主として当幌川沿い、そして一部これにつらなる沖積地の湿地帯で3m程度にすぎない。 そしてフィールド内全体では、割合ゆるい起伏の、中程度に解析された海成段丘をなしている。(図3図4
      図3
      図3 フィールド周縁の地形図
      (岡崎 1987)
      図4
      図4 フィールド付近の地形地質区分図
      (岡崎 1989)


    5. 地質
    6.  地質については、直接にフィールド区域内についてのみふれる。
       ここでは、最上部の薄い火山灰質の沖積層の下に、厚く洪積期の、主として火山性の海成堆積層が存在する。 地質状況を吟味して掘さくされたボーリングの例としては、野付崎の先端に近い竜神崎で行われた例がある。
       図5がそれであり、放牧牛馬の飲料を目的に掘られたもので、掘さくは140mまで行われた。 ストレーナーで深さ30m付近までの取水をしている。(29m3/日)
       図6は、別海地方の洪積層(およそ200万年以降)の地質柱状図を、札幌近郊の標準層序と対比させたものである。 左端のMaは年代単位で、1Maは100万年をあらわす。
      図5
      図5 野付崎竜神崎付近のボーリング柱状図
      (岡崎 1989)
      図6
      図6 地質柱状対比図
      (赤松 1989)
       図7は、凡そ120万年前以降の海水準と、それに対応する海水温の変動の状況を示している。
       また図8は、現在(A)、完新世海進最盛期、いわゆる縄紋海進期約6,000年前(B)、とさらに中期更新世、海進最盛期凡そ40万年前(C)等をならべて、温暖であった時期の状況を示している。 しかし実際には、上述の図8の(A)と(B)、(B)と(C)との時代の間には極寒期があったことは、図7海水準変動図がこれを示している。
      図7
      図7 洪積期中期以降の海水面、海中温度の変動図
      (赤松 1989)
      図8
      図8 気温変動図
      (A.現在,B.縄紋海進期,C.中期更新世海進期
      (赤松 1989)
       図9付表は、沖積期(1万年以降)における諸火山からの降灰の状況を示したものである。 それ以下を占める洪積期の数10万年にわたる膨大な降灰については、いちいち特定することは困難であり、むしろ“地層”として扱われる。 この地方では洪積期の中期以降、極めて大きな火山作用(主として降灰)、地殻変動(主として上・下動)、海水準の変動(海進・海退)等を経過してきた。 海水準の変動は、汎地球的なことである。 ほぼ現在に近い地形ができ上がったのは、大体洪積期の末であったと考えられる。 その洪積期末の最終氷期後に、一時いわゆる縄紋海進があった。 ここではその後再び海水準の下降がみられ、ほぼ現在の海水準近くになったのは、大体3,000年前頃からとみられている。 海水準は、ほぼ安定したがその後も小刻みな変動はあった。
      図9
      図9 根釧地方における沖積世の火山灰層の分布
      (山田 1940)

      付表           (山田忍1940による)
      符号*根室国釧路国川上郡釧路国厚岸郡
      0摩周統A火山灰層摩周統A火山灰層摩周統A火山灰層
      1 雌阿寒統火山灰層 
      2跡佐登統A火山灰層
      3跡佐登統B火山灰層
      4摩周統B火山灰層摩周統B火山灰層摩周統B火山灰層
      5摩周統C火山灰層摩周統C火山灰層摩周統C火山灰層
      6摩周統D火山灰層摩周統D火山灰層摩周統D火山灰層
      7摩周統E火山灰層摩周統E火山灰層 
      8 跡佐登統C火山灰層
      9摩周統F火山灰層摩周統F火山灰層摩周統F火山灰層
      10摩周統G火山灰層  
      11摩周統H火山灰層
      13摩周統J火山灰層
      14摩周統K火山灰層
      15摩周統L火山灰層
      表中の符号は図9の数字に対応する。

       野付崎の分岐砂嘴の発達の度合の消長は、この小刻みな海水準の変動に対応したものとみられる。(図10
       海水準がほぼ安定化した時期以降、当幌川の流域の、主として自然堤防の背後に湿地帯の形成がみられた。
       湿地帯(泥炭)は、一般的にいって農業や交通の障害になる。だから全国的には泥炭地の抹殺がむしろ開発とともに速進された。今ありのままの自然の保護、湿地帯と植生、生物とのかかわりあいの深さなどが深刻に見直されるようになって、幸いにも開発のおくれた道東の湿地帯がクローズ・アップされたといえよう。本別海フィールドもその一翼を担っている。
      図10
                   上:A
      B
      各尖岬の浜堤列の高度
      それに対応する海水準の変化
      下:分岐砂嘴の形成過程の模式図
      図10 野付崎の海水準変化に基づく発達模式図
      (岡崎 1989)


    7. 地穀変動の意味について
    8.  広大な別海フィールドで、足もとの大地の悠久な歴史に、しばし想いをめぐらすことも有意義なことではなかろうか。 さきにフィールドがよって立つ地盤のわずかに数10万年来の成り立ちの歴史でみたように、大地は不変不動で一見静止しているかにみえても、決してそうではない。
       この地殻変動の理解のために、我々の身近で、近年次第に解明されてきた顕著で興味深い例をひとつあげよう。
       それは、日本海と日本列島の成因である。 凡そ2,500万年前頃から、いまの沿海州方面で、海岸と平行に生じた割目に沿い、しかもその割目が次第に拡大され、3,000m以上も沈降することによって、日本海と日本列島ができたという。 それは主として、近年、日本海の海底から1,000m前後の探さに掘った数10本のボーリングの試料と、現在の陸地の地質とを対比した結果判明したことである。
       2,500万年といっても地球創生以来の46億年に比べると、そのわずか184分の1にすぎない。 日本海には、その2,500mの深海底からそびえ立つ奥尻海嶺があるが、いまではこの海嶺が、年に1cmの割合で上昇をつづけ、過去の日本海の沈降を打ち消すような方向の運動が行われつつあるという。
       ここでこのような地変について触れるのも、植生や生物に直接関連がないようにみえても、それは勝手に現在というものを固定化して考えるからで、大変重要なことなのである。


    9. 地変をひきおこす要因
    10.  地変をひきおこす要因としていくつか考えられる。
       その主たるものは、地球内部の熱源にあるといえよう。
       それは放射性元素の崩壊に伴う熱とみられている。 これがマントル対流をうながしたり、火山作用や、地殻、地層の上昇、下降、傾動、断層、褶曲などの諸現象をひきおこす因となる。
       さらに、他の大きな要因として水の存在があげられる。
       まず地球の大きさが水を水圏、気圏にとどめおくのに十分な大きさ(その引力が)を持っていることと、それに稀有の偶然で、地球が太陽から過不足なく適当に離れていることが幸いして、H20の多くが水の形で存在しており、豊富な生物をはぐくむいわゆる“水惑星”を形成している。 この水が地球表皮に甚大な侵食作用を演ずる。時には氷としても地殻の侵食に絶大な力を発揮する。
       このように、主として熱と水が地球を変える。 大地は不変不動ではない。むしろ成住壊空の流転の繰り返しの中にある。 しかしその流転が激しければ激しい程、その変化、流転の背後に、常住不滅の、本有常住の大法が渇仰されるのである。


  2. フイールドの植生 −特に湿原の存在意義とその保護−
  3. photo-1  少し長くなるが、次の引用は、湿原のもつ役割や重要性をよくいい表わしている。

     「本当に生態系を保護する気なら、何の変哲もない土地にまで目を向けねばならない。 珍しい風景があるでもなく、希少種が絶滅に瀕しているわけでもない湿原や森林こそ問題なのだ……。 ではなぜ、湿地は生態系の維持に欠かせないのか。 まず生物をはぐくむ力が抜群だし、水から汚染物質を除去する天然フィルターの役割も果たしている。
     湿地から生まれる生命は、カタツムリや甲虫、植物のアシなど、ほとんど退屈なものだ。 世間の関心は、コンドルやハイイログマなど魅力ある動物に向きがちだが、本当に必要なのは、自然界全体における生命の多様性の保存なのである。
     大地は、つぎつぎと舗装されてゆく。 だからこそありきたりの湿地が大切になる。 そこではいまも活発に進化が行われていて、遺伝子の保存に最も適した場所だからだ。
     地球全体からみれば、どの種が絶滅しようと大した問題ではない。 重要なのは、さまざまな種がつねにそろっていて、多様な遺伝形質が蓄えられていること。 そして、それらが環境のいかなる変化にも対応できることである。
     遺伝子工学を手にした人間が、環境の変動(おそらく自ら作りだしたものだが)に対処するため名もない生物のDNAを拝借したりしないと誰に言えるだろう。 カビからペニシリンが見つかるなど誰も予想しなかったではないか。……」 (ニューズウイーク日本語版 '89.9.21 P74)

    photo-2  このように湿原は、花々が咲き乱れるというような華やかさには乏しい。 その景観は、単調にみえるがむしろ原生的自然植生が豊富なことを特徴としている。 そして広葉落葉樹林とはまた違った生物との、甚大なかかわり合いをもっている。
     湿原は、汚染や乾燥に弱いことはよく知られている。 だからそういった傾向が懸念される場合、事前に前兆を把握して対策を講じなければならない。 乾燥についてであるが、その乾燥化の傾向を判別するひとつの有効な方法として樹木の生育状況の観察があると思う。 その指標樹種としてハルニレ、ヤチダモ、ヤチハンノキ等があげられる。
     特に後二者が重要であろう。 これらの樹木の生育は、環境とくに土壌水分の多寡に大きく左右される。 即ち湿原のただ中では、ヤチハンノキは矮化した形でのみ存在する。 仮に乾燥化がはじまると、あるいは現在の湿原のすぐ周縁といっても条件は同じであるが、ヤチハンノキの生育は速進される。
     他方ヤチダモは、ヤチハンノキよりも、土壌がさらに安定したところでないと育たない。 ハルニレについてもヤチダモとほぼ同じことが言える。 湿原のただ中のヤチハンノキは別として、ヤチハンノキ、ヤチダモ、ハルニレなどの、上述のような関係は、たとえば札幌扇状地についても同様にしかも美事に言えるのである。
     そこで具体的には、必要と思われる場所で、ある区画に限定して上記3樹種の生育状況を詳細に定期的に測定して、乾燥化への情報を探ることができよう。
     さらに乾燥化を抑える対策のひとつとして地下水の利用も考えられる。
     さきに地質の項目で、野付崎の先端に近い竜神崎でのボーリングについて述べた。 このボーリングでの水の採取は、ボーリング柱状図から判断ずれば戸春別層の下底、すなわち深さ凡そ30mまでの、割合に浅層の地下水を利用している。 恐らくこの場所と大差のない深度のところで、フィールド付近でも地下水の利用が可能と思う。
     このボーリングは探さ140mで掘りどめているが、上記の水層以外には少なくとも探さ140mまでは、目ぼしい地下水層のないことを示しているとみてよい。


  4. 別海フィールド一帯の自然をどうとらえるか
  5. photo-3  自然を、時の流れの中でみる場合、それが成住壊空という万物流転の大法則に厳然として貫かれていることを想うのである。
     もっともこのことは宇宙や、天体あるいは地球などの研究を通じてはじめて認識できることである。 仏教(仏法)では流転を繰り返す生命の中に、常住にして不滅の生命が存在することを教える。 ここで成住壊空といっても、人間が介在して自然を汚染破壊する所業は入っていないし、入ってはならないことは言うまでもない。
     いま自然保護問題が焦点になっているように、自然を現在の時点で観、そしてそれに働きかけを行なう場合、まさに仏法における人間の自然や他者へのとらえ方が問題になる。 それは、「依正不二」や「依正色心」、あるいは「草木成仏」といったような法理や、さらにそれらの根底にある「一念三千」の極理が導きとなろう。 我々が自然に接する時に、常にそういった自然をみる認識の面、法理や理論の面での深化を志さずにはいられない。
     実践的な面では、数多くの、本当に自然の名に値する自然を観ることが望ましいと思う。
     最近所用で上京した折、かねてから、本道ではみられない暖温帯の落葉広葉樹林や照葉樹林を見たいという希望があったので、わずかな暇をさいて都内の窪町東公園(高師・文理大の跡地)、新宿中央公園、府中の深大寺植物園、高尾山、三原山等を手あたり次第に歩き回った。
     このうち例えば、大規模な深大寺植物園は、樹木の観察にはこの上もなく便利である反面、徹底して人工的であり、また博物学万般の聖地のような観もあった高尾山は、開発の影響を大きく受け昔日のおもかげを失っている。
     その点本フィールドも、原生林に近い自然林と湿地帯を包有する道東の広大な自然の一部であるが、自然を学ぶ者にとって絶好のフィールドであると思う。
     このような場所でこそ「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉(ことごと)く萌え出生して華(はな)(さ)き栄えて世に値う気色(けしき)なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実(み)成熟(じょうじゅく)して一切の有情(うじょう)を養育し寿命を続き長養(ちょうよう)し終(つい)に成仏の徳用(とくゆう)を顕す」(日蓮大聖人御書全集 574ページ)に拝するように、草木と一体になる歓びを得ことができるのである。


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