丹頂のふる里てい談

さあ、21世紀へ−君も勇壮に舞いゆけ!


<聖教新聞 1991年5月12日> より引用

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 お楽しみ日曜てい談−−今回は北海道釧路市を訪ね、特別天然記念物に指定されている「丹頂鶴」の人工ふ化・人工飼育を世界で初めて成功させた釧路市丹頂鶴自然公園の高橋良治園長との興味深い語らいです。 お相手するのは副会長で第3北海道長の佐藤好弘さんと北海道女子部長の中沢不二子さん。 では、多彩に展開されたてい談の魅力をごゆっくりどうぞ−−。



中沢
北海道女子部長
中沢不二子さん

環境の守りは地球的視野で
生命を愛し慈(いつく)しむ心を広げて

佐藤
副会長(第3北海道長)
佐藤 好弘さん

すべてを生かす“励ましの教育”
大自然との共生(きょうせい)は時代の要請

高橋
釧路市丹頂鶴自然公園園長
高橋 良治さん

世界初の人工飼育成功は音(言葉)の交流に
鶴の夫婦愛は人間の模範



偕成社発行『鶴になったおじさん』カバー写真
タンチョウ1

中沢 “鶴になったおじさん”といわれる高橋さん、はじめまして(笑い)。

高橋 私はネ、“鶴になりそこなった男”と思ってるんですよ(大笑い)。 何よりも鶴のように大空を飛べない悔しさがある……。

佐藤 でも丹頂鶴の絶滅の危機を救った高橋さんです。 鶴だってそのご苦労は忘れませんよ。 “鶴の恩返し”という物語もあるくらいですから。

高橋 いやいや、こりゃまいった!(大笑い)。

佐藤 この釧路の大湿原で鶴とともに歩んで33年になる高橋さんも最初は鳥類が大嫌いだったとか。

高橋 そうなんです。 兄が牧場を経営してましたから、牛や馬の飼育ならある程度の自信もあったし、ゆくゆく獣医かパイロット、あるいは騎手を夢みる青年期でした。

中沢 高橋さんの場合、その大嫌いな鳥類−−鶴の飼育に取り組むきっかけは、まさにお父さんの“ツルの一声”で決断されたんですね(笑い)。

高橋 今でいう“悪ガキ”だった私。 反抗するたびにゲンコツが飛んでくる。 “やりもしないで出来ない”とは言わせない、と。 怖い父でしたが、国の特別天然記念物を守る使命の道を教えてくれたのではないか、と今では感謝できるようになりました。

佐藤 なるほど。 父に反抗する高橋さんに、「良ちゃんならできるよ」と口添えされた母親の励ましも大きかったそうですね。

高橋 ええ。 母からそう言われると「それなら、ちょっとやってみるか」と(笑い)。 やはり母は偉大なんでしょうね。

中沢 この広大な釧路湿原に住む丹頂鶴も、33年前にはわずかに十数羽。 以来、高橋さんの人工ふ化・飼育にかけた努力が実って、今では500羽近くに。 何が、そんな高橋さんを支えてきたんですか。

高橋 やはり釧路市民の75%を超える丹頂鶴に対する関心度の高さ。 それと釧路市当局はもとより、幼児から学者、専門家に至る幅広い方々からの、さまざまな忠告やら温かな応援のおかげだと思っています。

佐藤 “石の上にも3年”という言葉もありますけど(笑い)、そんな粘り強い高橋さんの姿を見ていると、人間の真の価値は、単に好き嫌いで決まるものではないな、と改めて思います。

高橋 私の若いころ、多くの馬好きの若者が騎手になろうと応募し、ほとんどが落第しました(笑い)。 これは馬好きの人間が、馬に嫌われた結果でもあるのです。 人間が動物と交流することの難しさを示す、これは一例です。

中沢 動物たちもそんな厳しい眼で、人間の資質を選択するんですか。

高橋 厳しいですよ。 駿馬(しゅんめ)は目と目があった瞬間に判断し、嫌いな騎手と判断したら鞍(くら)もかけさせてくれません。 いわんや丹頂鶴の夫婦の姿は、ある意味で人間の模範となる生き方をしますから、こちらが好きになってもらう技術的な難しさがあるのです。

写真撮影 福原幸昭氏
タンチョウ1
タンチョウ2
タンチョウ3

佐藤 ところで、世界で初の人工ふ化・飼育を成功させた過程において、最も辛かったことはどんなことですか。

高橋 辛かったことは、やはり丹頂の卵を孵卵器で温め、寝食を忘れてふ化させる段階で、技術的未熟さ故に死なせてしまった時です。

中沢 私もその時の模様をNHKテレビで拝見しました。 高橋さんが卵に“励ましの声”を掛けながら温め、やがて卵の中のヒナが殻を破って出てくる瞬間が、とても感動的でした。

高橋 それも湿原の営巣で、丹頂の夫婦が交互に卵を温める姿に学んだ知恵なんです。 勝負は3カ月。 私は“ピーちゃん”と声を掛けて育てるわけですけど、この音と音、言葉と言葉の交流が、丹頂の生死をも決定づけることがわかったんです。

佐藤 いや、励ますことこそ最大の教育であることが、今のお話からも理解できました。 卵に声を掛ける行為は、親子間の絆とも言えるし、相手に限りない勇気と希望を与える対話(ダイアローグ)の重要性を教えてくれます。

高橋 すごいとらえ方をされる。 さすが創価学会の副会長さんだ(爆笑)。

佐藤 結局、励ますことは、人それぞれの可能性を開花させる力だと思うのです。 私は、鶴との対話に成功した高橋さんの功績もさることながら、厳愛をもって今日の高橋さんを育てられたご両親も、私は最高の教育者だと思います。

高橋 教員も経験されている佐藤副会長のもとでは、頑固一徹の親父から言われているようで。 いやー、恐れ入りました(笑い)。

中沢 最もうれしかったことといえば、やはり高橋さんと丹頂鶴との間で言葉が通じ合ったことですか。

高橋 その通りです。 言葉と言葉の交流の中で、この高橋良治という男が、丹頂仲間に評価され、信じてもらえた時の喜びは、言葉では言い尽くせるものではありませんね。

佐藤 なるほど。 それだけに高橋さん自身が飛べないことが悔しくてならないと。

高橋 そうなんです。 一生懸命羽ばたきを教え、やっと大空に舞い上がる。 “早くおいでよ!”と呼び掛けてくる丹頂鶴に、こちらは申し訳ないやら情けないやら……。

中沢 「交流」から「信」が生まれ、やがて巣立ちゆく光景もまた、一幅の絵を思わせ感動的ですね。


釧路の湿原は動植物の宝庫

写真撮影 松浦賢一氏
−別海フィールドにて−
別海丹頂1
別海丹頂2
別海丹頂3

佐藤 丹頂鶴と高橋さんとの対話の一断面をお聞かせください。

高橋 長年、飼育してきた丹頂の場合は、必ず朝早く私のもとに「おはよう!」とあいさつに来る。 2回、3回と呼び掛けても私が寝ていて返事をしないと「いるのか!」と生意気な声に変わる(笑い)。

中沢 へえー、そんな声までわかるんですか。

高橋 ええ。 そこで私が窓を開けて「いるべや」と声を返してやると丹頂鶴の方はやっと安心するんです。 人工ふ化の丹頂の場合は、このような会話もできるし、いろいろ要求もされます。 この辺が四つ足の動物と違うところです。

佐藤 人工ふ化のときは、卵に呼び掛ける声(音)も、父親役と母親の役も意識されてやられるんですか。

高橋 それが一番大変なんです。 母親の優しい声、外敵を追い払う父親の迫力に満つ声……。 でも一人で二役をやってきたおかげで、子どもをダメにする家庭の実像もわかってきました(笑い)。

中沢 高橋さんが、そのように生きとし生けるものを守り、慈しんでおられる心こそ自然保護の要件と思うのです。 環境破壊を重ねる現代人の克服すべき課題もこの一点にあるわけですよね。

高橋 いやー、もったいない限りのお話です。 言われる通り釧路湿原は動植物の宝庫であるという観点からも、現代人は自らの生き方に思いを巡らし、地球的視野に立った人間と自然との調和を考える時代に入ったと思います。

佐藤 人間と自然との共存共生−−日蓮大聖人の仏法が説く生命の尊厳を視座に、自然保護の運動には私ども創価学会も特に力を入れてきたわけです。

高橋 歴代の会長さんのもと、偉大な運動を繰り広げておられることは、前々から存じ上げていました。 ともかく、どういうわけか、鶴飼育に生きる我が家の、先祖代々からのの家紋も鶴なのです。 鶴との因縁を痛感せずにはおれません。

佐藤 この釧路の丹頂鶴が絶滅に瀕(ひん)していた34・5年前、実はそのニュースを耳にした戸田城聖第2代会長が、寄付をさせていただき、その後、池田名誉会長も昭和40年と53年の2度にわたってこの鶴公園に、同じく真心の寄付をさせていただきました。

高橋 それは驚きです。 いやー、本当にありがたいことです。 市当局の記録には記載されていると思います。

佐藤 すべては国の特別天然記念物を守らんがための、やむにやまれぬ発露からのものだったと思います。

高橋 実は2年後にラムサール条約(水鳥湿地保全条約)締約国国際会議の開催が予定され、その時にこれまでお世話になった方々との友好の機会がつくれないものかと検討中です。 実現したらよろしくお願いします。

佐藤 よくわかりました。 自然保護の運動に関しては、できる限りのご協力はさせていただきます。

高橋 大自然を守るという大目的を達成していくうえで、私が思うに、人間自身が調整役を果たしていかねばならないということです。

中沢 私も全く同感です。 その調整役を果たすには、人間の内なる攻撃的・破壊的エネルギーをいかにして、創造的で思いやりに満ちた慈しみの生命に転換していけるかにかかっている−−これが名誉会長の提言でもあるんです。

高橋 よく理解できます。 本当にその通りです。

佐藤 そのことに関して学会では、自然保護への理解を深めていただくための「環境展」を開催しています。 ラムサール会議の開催の折には釧路でも開催する予定ですので、その時はぜひご協力ください。

高橋 それはもう、喜んで協力させていただきます。

中沢 さて、再び鶴の話に戻りますが、人間が模範とすべき鶴の生き方、生態についてお聞かせください。

高橋 まず、鶴は原則として、人間のように離婚はしません(笑い)。 仲が良く、生きている限り、生涯、夫婦二人三脚の生活を続けます。

佐藤 なるほど。まさしく“偕老同穴”だ(笑い)。

高橋 それに長寿です。 生まれて3カ月ほどで飛べるようになります。 4年で成鳥になり、産卵します。 平均4・50年は生きます。 この公園で昭和32年に生まれた鶴が今でも元気でいます。 人間に換算すると170歳ぐらいまで生きている計算なんです。

中沢 夫婦の一方が早く死んだ時はどうなるんですか。

高橋 例えばオスが死んだ場合、その死体がある限り、メスはそのそばから離れません。 雪が降り死体が目に見えなくなるなど消滅したとわかった時に初めて、新たなツガイ形成を組むのです。

佐藤 営巣での子育てについてはいかがですか。

高橋 営巣も子育ても夫婦による共同作業です。 ただ卵を抱いて温めるときは、2時間ほど、メス・オスが交代で卵を抱きます。 夜はメスが抱きます。 そしてヒナが誕生した瞬間から、メスが子育てに没頭し、オスは自らを犠牲にして外敵からの守りに徹するのです。

中沢 おめでたい時に登場する鶴のいわれが、よくわかりました。

高橋 “オシドリ夫婦”といわれる実際のオシドリは、メスが卵を生んだらオスは別の場所に移動して他のオスたちと井戸端会議です(笑い)。

佐藤 するとこれからは、仲の良い夫婦の例えは“ツル鳥夫婦”と教えていかなくてはいけませんね(笑い)。

高橋 恥ずかしい話ですが、長年の鶴飼育に対する愛情がわが身に染まり、我が家にあっては女房よりも、高橋良治の母性愛のほうが強い(爆笑)。 ですから今、勇気ある男性に戻ろう戻ろう、と努力中なんです(大笑い)。

中沢 そこまで丹頂飼育に徹する姿は、これはもう執念の炎を見る思いです。

高橋 丹頂の頭の「赤」と「白」と「黒」の羽根。 この三色カラーも丹頂に魅せられた理由の一つです。 「赤」は「日の丸」の日本を、そして太陽を象徴するものではないか。 また「白」は純粋、「黒」は死してもなお、捨て難い生命の連続性を表しているように思えるからです。

佐藤 なるほど。 日蓮大聖人の御書の中にも、理想的な夫婦の在り方として、鳥の例えが引かれているのです。 それはすべて、夫婦は永遠に一体であれとの教えなんですが丹頂鶴の生き方も含めて幅広く学ばせていただき、きょうは感謝と感激で胸がいっぱいです。

高橋 いえいえ。 池田名誉会長さんに、そして全学会の皆さんに、こちらこそ、よろしくお伝えください。




略歴

釧路市丹頂鶴自然公園園長 高橋 良治さん
たかはし・りょうじ 北海道釧路市丹頂鶴自然公園の園長。
1958年、同公園が開設されて以来、同園の管理者を務める。 1934年北海道生まれの56歳。 世界で初めて丹頂鶴の人工ふ化・人工飼育に成功。 30年来にわたる丹頂の生態研究、保護・増殖の功績が高く評価され1988年に「吉川英治文化賞」を受賞。
著書に「鶴になったおじさん」がある。 釧路市鶴丘に在住。

副会長(第3北海道長) 佐藤 好弘さん
さとう・よしひろ 副会長。第3北海道長。
1941年東京生まれの49歳。4歳で北海道に移住。 北海道教育大学卒業後、4年間、小学校教諭を務める。 道男子部長、青年部長を歴任。 持ち前の行動力と豊かな感性で、広大な北海の天地を友の激励にフル回転。 釧路文化会館勤務。教学部師範。 1957年入信。釧路市在住。

北海道女子部長 中沢不二子さん
なかざわ・ふじこ 北海道女子部長。
新潟県出身。 中学生のころから大自然が息づく北海道にあこがれる。 北海道大学農学部卒。道女子学生局長などを歴任。 “信”強く心優しきリーダーとして、人材輩出にロマンの大地を駆ける。 北海道文化会館勤務。青年教学資格1級。 1963年入信。札幌市厚別区在住。


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