INSTITUTE of NATURAL SCIENCE and EDUCATION in SOKA SCHOOL SYSTEM

野鳥・自然環境研究所報告

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第2巻第3号(通巻第7号)

2002年11月27日 発行


蛍保存会の活動

関西創価中学校・高等学校 蛍保存会      
杉本規彦・池田勝利・中西 均


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  1. 保存会の発足と草創期
  2. 蛍  1978年(昭和53年)4月、来阪された創立者と教職員との懇談会が開かれました。学園をとりまく豊かな自然環境について語り合った時に、創立者から「かつて、『蛍川』があったこの地に、蛍を呼び戻したらどうだろう」との御提案をいただきました。さっそく、前学園長の松田茂行先生が御提案の実現をめざし、「蛍保存会」を結成、研究の第一歩を踏み出しました。
     学園敷地内の水質調査の結果、「白鳥の池」の水が、蛍の生育に適している事がわかり、同年(1978年)6月、「白鳥の池」から水を引くため、側溝を掘り、「蛍の川」をつくりました。そこに、交野市内の小川から採集した「ヘイケボタル」を放ちました。「ゲンジボタル」の飼育も開始しました。
     翌1979年5月、「学園ボタル」第1号が飛翔。創立者にご報告したところ、俳句を詠んでくださいました。

    ほたる飛ぶ  源氏も平家も  ともどもに

     その後、地元交野市民の関心が高まり、交野市長から蛍保存・養殖の依頼がありました。1980年3月、市長と市民の方々が見守る中、学園で育てた幼虫を、倉治・南星台の2地区に放流しました。また子供会を対象に、蛍の生態や飼育についての研究発表をしたり、市役所の方や市民との交流をすすめていきました。
     1981年6月、蛍が飛翔する時期を「蛍観賞週間」とし、学園の庭園を一般公開しました。
     1986年6月20日、創立者と奥様に学園ボタルの乱舞を見ていただくことができました。
     観賞を終えられたあと、創立者は次の3句を詠んでくださいました。

    蛍

    万葉が  今かと光らむ  蛍かな
    優雅なる  宝石 飛び交う  蛍池
    王朝の  樹々に 源氏の  蛍かな

     1987年12月、創立者の創作童話「ホタルかがやく」が小学館から発刊されました。その中に描かれているホタルクラブに、私たちの蛍保存会を重ねながら、皆何度も読みました。童話の最後にある「いのちを大切にしよう――あとがきにかえて」の冒頭の内容は、私たち保存会にとって『原点』といえるものです。

     ホタルは水の美しい所にしか暮らせません。私は、水の美しい所とは、そこに住む人の心も美しい所だと思います。自然と人間の両方の豊さと清らかさがとけ合った所に、ホタルは飛ぶのかもしれません。その意味で、ホタルは「平和」のシンボルです。ですから、「ホタルかがやく」の物語には、「平和かがやく」社会への願いがこめてあります。そして、どんなに苦しく、大変なことがあったとしても、最後の最後まで、決して「希望」の光を失うことなく生きぬいていく強い人になってほしい――との期待をこめて書きました。
     社会の平和をつくりだすこと。そして人生の希望をつくりだすこと。この二つは皆さん方の、これから長い一生にとっても、もっとも大切なことだと私は信じています。そして、平和は、他人のいのちを大切にすること。希望は、自分のいのちを大切にすることです。どちらも、「いのちを大切にする」という、人間にとって一番に大切な一点を忘れないことです。

     一方、蛍の飼育や自然環境の保護について、社会の関心が高まる中、保存会への協力依頼も増えていきました。これまで交野市、枚方市、四条畷市などの近接する地域の方、さらに大阪府や京都市の環境行政に携わる方、創価大学などと交流をしてきました。また「全国ほたる研究会」にも何度か参加し、多くの情報を得ることができました。
     1986年10月、久保泰郎現東京校理科教諭の設計による、新しい「蛍の川」とカワニナ養殖のための「水生生物研究水路」を改修。保存会の歴史において「第2期」といえる飼育システム構築のスタートとなりました。また、幼虫飼育施設の「蛍の小屋」を建て直し、倉庫を付設しました。


     

  3. 保存会の活動
  4.  現在、保存会のメンバーは約40名います。保存会への入部は5・6月なので、蛍が成虫となって飛び立つ頃です。新入部員の最初の仕事は、「蛍観賞会」の準備と産卵箱作り。皆楽しげに作業に取り組み、乱舞する蛍の光に感動しています。しかし、本当の仕事は7月から。卵からふ化した幼虫を育てることが、もっとも大切な仕事です。保存会の毎日の仕事は、とても細かく地道です。物言わぬ幼虫を相手に、その大きさに見合うように、餌のカワニナをつぶして与えます。(自然界では、幼虫は自分の体の大きさに見合う稚貝を探して食しますが、人工飼育においては、稚貝を必要数採集することが難しいのです。)
    蛍 蛍
    カワニナをペンチつぶし、ハサミで細かく刻む

     またデリケートな蛍は、ちょっとした水質の悪化で死滅する恐れがあります。1バットに1齢幼虫で約1000匹飼育するのですが、手についていた石けんやハンドクリームで知らないうちに汚していたり、空調の温度調節がうまくいかず水温が上昇してしまい、1度に数バットの幼虫が死んでしまったこともありました。しかし、こうした地道な作業と細やかな心配りを続けていくうちに、幼虫への愛着が生まれます。小さな生命を慈しむ思いが強くなってきます。生命を育てることの難しさ。自分たちの失敗は生命を奪うことになる。その責任の重さを感じるからこそ、成虫になって輝く一つ一つの光が、「生命の輝き」として胸に迫ってくるのだと思います。

    大まかな活動内容
    4月…用具・資料の整理、蛍の川周辺の整備
     飼育小屋を点検し、エアーストーンやチューブ、スポイドやピンセットなどの不具合はないか調べます。また、蛍の川の盛り土部分にさなぎが点在しているので、踏み込まれないように柵やロープで立ち入り禁止区域をつくります。
    5月…新入部員の掌握、蛍の生態や飼育方法についての学習、産卵箱作り
     雌2〜3匹に対して1個の産卵箱を作成します。羽化したらすぐ雌を捕獲し、産卵箱に入れます。産卵箱には、朝・昼・夕と3回以上霧吹きで川の水を吹きかけ、乾燥しないようにします。
    >6月…蜘蛛の巣取り(蜘蛛は蛍の成虫の天敵)、「蛍観賞会」の企画
     蛍観賞会では、蛍の生態についてスライドを上映するので、説明できるように練習しておきます。遊歩道の清掃、危険区域に「立ち入り禁止」の標示、蛍の生態を紹介する「しおり」作り、蛍の川周辺のクモの巣採り、庭園に水まきなど、最も忙しい時期です。
    7月…水質管理と餌やり(幼虫の飼育は2月までほぼ同様の作業が続きます。飼育過程は後述)
     エアレーションを始め、孵化が完了した段階で、バットから産卵箱を取り除きます。2〜3日に1度水替え(バット半分の水の入れ替え)を行います。
    8月…蛍の川の清掃、幼虫の大きさ分け
    9〜10月…幼虫の放流
     交流している地域に放流します。
    11月…文化発表会
     「英知の日」に保存会の活動を紹介する展示を行います。
    3月…蛍の川の清掃、幼虫の大きさ分け
     全ての幼虫を「蛍の川」に放流します。


  5. 飼育の過程と設備
  6. <産卵>

     捕獲した段階で雌はほぼ交尾を終えていると思われますが、念のため雄も数匹一緒にして、産卵箱に入れます。
     産卵箱は、バットの上におけるよう木枠を作り、上下を金網で閉じます。底の網の上に、川の水に浸しておいた水苔を軽く絞り、網が見えない程度に敷きます。蛍が逃げ出さないよう、網をホチキスや画鋲でしっかり止めておきます。水苔が乾いてしまわないよう、時々霧吹きで水をかけてやります。現在、「ゲンジボタル」の幼虫のみ飼育していますが、一匹の雌は400個から600個の卵を生みます。(全ての雌の産卵数を確認しているわけではありませんが、同じ年の蛍でも100個前後の個体差があります。)
    蛍

    産卵箱

    蛍

    水苔に産み付けられた卵

    蛍

    産卵箱に霧吹きで水やり


    <幼虫>

     産卵後、約1か月で孵化した幼虫は、産卵箱の網目から、水が張られたバットへと落ちていきます。孵化率は、80〜90%ですが、 1齢幼虫の数÷(雌の数×サンプルとして数えた卵の個数の平均) で算出しており、すでに産卵を終えた雌や、交尾できなかった雌を捕獲している場合もあるため、下限の数値として目安にしています。
     生れたばかりの幼虫は、体長が2mmほどしかなく、黒い糸くずのようです。観察しやすいように、はじめはバットには砂利を置きませんが、生徒の眼がなれ、餌やりや水替えの要領がつかめた段階で、砂利を入れます。また蛍は夜行性のため、小屋の入口にはよしずをかけて日除けし、窓には遮光フィルムを貼って、できるだけ光が入らないようにしています。またバットには瓦や大きめの石などを置いて日陰をつくります。
     小屋はプレハブ作りで、トタン屋根のため、夏場の室温は外気温を上回り、そのままでは水温が高くなりすぎます。そのため小屋には空調設備を設けてあります。水温が25度を超えると、酸欠状態になり、また餌の腐敗が進み、多くの幼虫が死にます。
     幼虫は脱皮を繰り返して大きくなります。普通1年間で6回の脱皮をします。1回目の脱皮をしたものを2齢とし、以後3齢、4齢と数えていき、脱皮を終えたものを終齢といいます。終齢になると、体長は20mm前後にもなります。しかし、脱皮の回数を正確に知ることは難しいので、大きさで判断し、2齢〜3齢の時期(8月)にまず大・小2つに大別し、バットを入れ替えます。4齢〜終齢の時期(10〜2月)には、大・中・小の3つに分け、それぞれの大きさに応じて、餌のカワニナの大きさも変えて与えます。4齢以上は、カワニナをつぶさず、貝のまま与えます。餌やりでとくに注意をしなければならないのは、すぐに腐ってしまうので、幼虫の食べ残しはこまめに取り除き、常に新しい餌を補給する事です。そうしないと、水質が悪化してしまいますし、腐ってゼリー状になり、その中に幼虫が閉じ込められて死んでしまうからです。
    蛍

    幼虫の大きさ分け

    蛍

    5齢〜終齢の幼虫

     水替えは、チューブを使って半分ほどの水を抜きます。その際、水と一緒に若年幼虫が流れ出してしまう事があるので、幼虫がいないか抜いた水をもう1度よく確かめ、いた場合はスポイドで吸いとって元に戻します。3〜4日に1度入れかえるので、極端な刺激を与えない方がよいようです。エアーストーンはできるだけ気泡が細かいものが望ましいようです。


    <放流から上陸>

    蛍

    幼虫の放流

     養殖小屋のバットで飼育可能な幼虫の数は、約2万匹と考えています。小屋に設置しているバット数は22基で、大きさ分けや食餌作業用に2基使用しますので、残り20基に各1000匹飼育します。1バットにおける個体数を増やすと、それだけ与える餌の量が増えるため、水の汚れる度合いも増し、生育率が低下します。またカワニナの確保においても、まだ不十分な点があります。したがって、水質の管理と確保できる餌の量から、現在は上限を2万匹として養殖しています。ですから、成虫の雌の数から算出して幼虫の数が2万匹を越える場合、1齢の段階で放流を行います。その後、バットで2〜3齢まで育った幼虫も、交野市・枚方市の蛍の保護活動をすすめておられる地域や、蛍が生息できそうな自然の川などに放流しています。本年は、9月に交野市私市地区2ヵ所に約500匹と1000匹、枚方市の小学校(ビオトープ)1ヵ所に約500匹放流しました。
     3月中旬に、「蛍の川」の土手部分を掘り起こし、流出した土砂を補うため客土します。土砂は、市販の真砂土と黒土(腐葉土)を混ぜて使っています。土手部分が幼虫の上陸層になるわけです。上陸層が整備できたら、残りすべての幼虫を「蛍の川」に放流します。終齢に達していない幼虫は、越年して2年または3年かけて終齢になります。この「越年型」を放流せずに、継続してバットで飼育したこともありますが、終齢になれないまま幼虫として一生を終えてしまう蛍もいました。その原因はまだ解明できていません。終齢幼虫は、4月の上旬から中旬に、多くは雨天の夜に川から上陸します。
     水温が10度を超える頃、上陸を開始すると思われます。気候条件が整ったとき、数十匹が2〜3時間の間に次々と上陸することがあります。幼虫もわずかですが発光しており、暗闇に小さな点の光が静かにゆっくりと上がって(上陸)いきます。


    <蛹化>

    蛍

     ここで難しいのは、幼虫が上陸後の着地点を、私たちが準備した上陸層に決めてくれるかどうかです。これまでも上陸層を越えて、遊歩道にまで出てしまったり、草むらに入り込んでしまう幼虫もあり、発見しては連れ戻した(!?)こともありました。上陸層に着地点を決めた幼虫は、まもなく土の中に潜り始めます。土の状態にもよりますが、3〜6cmの深さのところに楕円形の土繭を作ります。その中で、「前蛹」となり、1度脱皮して「蛹」になります。ここまで潜土してから20日余りかかります


     

    <羽化>

     土の中で成虫となり、5月末から6月中旬に地上に出ます。雨が降って土が軟らかくなっている夜、土繭を破って外に出た蛍は、近くの草の上でしばらく休んでから、樹木にたどり着いた後、登り始めます。成虫になった蛍は、草や木の葉についた夜露を飲むだけで、何も食べません。昼間はじっと葉陰に身を潜め、夜を待ちます。「蛍の川」に1匹2匹と蛍が飛び始め、だんだん光が増え、のちに同時明滅を始める光景は、いつ見ても感動を覚えます。飛翔の初見からほぼ1週間でほとんどの羽化が行われると思われます。雌はほとんど飛翔せず、草の中や木の葉陰で点滅しています。雌は発光する節が1節だけで、近くで見るとスジ状に、また不規則に明滅しています。体長も雄より大きいので簡単に見つけることができます。雌は捕獲して産卵箱に入れます。
    蛍 蛍 蛍
    成虫腹部の発光器(左が雄、右が雌)

     幼虫の上陸が確認できたときより約50日たったころ、「蛍観賞会」を行います。最近は「蛍観賞の夕べ」と銘打って、土・日曜の午後8時から9時までを、一般開放します。保存会にとって1年間の成果が問われる最大の行事ですから、生徒たちも、毎日準備に懸命です。雄は雌の光を探して飛んでいますので、「蛍の川」数カ所の草むらに産卵箱をおいておきます。たくさんの市民の方が観賞に訪れ、多いときには1日で1000名を超えます。初めて見る蛍の光に目をキラキラさせて喜ぶ小さな子供たちや、何十年ぶりで見たと感慨深げな年配の方など、心優しいロマンの語らいが見られ、保存会の生徒たちも、あらためて蛍を育てる大きな意義を感じています。


    <養殖水路「螢の川」>

     中学棟と理科棟の間にある中庭(源氏の庭)の斜面を利用して、全長約30m、巾約1mの越流式水路を設置。養殖エリアを8カ所設け、各エリア間に30〜50僂涼丙垢鬚弔りました。水深は約15僂箸覆襪茲水量をほぼ一定に保っています。取水は、はじめ白鳥の池(湧水池)から行っていましたが、水質が変化し、蛍に適さなくなったので、井戸を掘り、地下水をくみ上げて行いました。現在は、地下水の水量が安定しないことから、水道水と混合し、浄化池より15tの水を200Wのポンプで汲み上げ循環させています。川の最上部には、高さ1.5mの滝落としを設置し、DOをほぼ飽和状態にしています。また川の周囲は自然の川に似せた岩で囲み、苔類や笹類を植えています。川底には砂利を敷き、適度に直径10〜20僂寮个鮹屬い董⇒鎮遒隠れる場所を作っています。
    蛍 蛍 蛍
    滝落とし越流式水路「蛍の川」

    <飼育施設「螢の小屋」>

     広さは9.9平方メートルのプレハブつくりで、中にはオリジナル水冷式幼虫飼育バット20基(コンテナボックスを塩ビ管で接続し、冷却水を循環するシステム)を設置しています。2基のエアーコンプレッサーから、室内の壁に取り付けた塩ビ管を通し、バットにエアレーションしています。また、水温を適温に保つため、空調設備を取り付けています。
    蛍

    蛍の飼育小屋

    蛍

    手作りの飼育装置


  7. おわりに
  8. 蛍

    蛍の乱舞

     2001年4月4日、大阪大学コンベンションセンターにおいて、「第5回大阪湾沿岸域研究交流フォーラム」が開催され、蛍保存会も高校生の代表がパネルディスカッションに参加し、「海山川の環境教育・学習のあり方と市民参加」のテーマで話し合いました。このフォーラムは、市民・子どもたちと研究者・行政マンの交流をすすめ、新しい環境教育・学習システムの可能性を探る目的でNPOにより企画されたものです。私たちの活動に、大学や博物館の先生方から大きな期待が寄せられました。聴講者から「保存会の活動を通して得たものは?」との質問に、代表の上松満義くん(当時高校2年)は、「毎日、生命と向き合う作業を続け、人間的に成長できたと思います。蛍を守ることは、地球を守ることになるのだと思うようになりました。」と答えていました。蛍の保存に限らず、各地で様々な方が自然環境の保全・創造に苦心され、地道な努力を続けておられます。こうした「地球の守り人」たちと、さらなる交流を深めていきたいと考えています。
     最後に、保存会の生徒の声を紹介して、活動報告といたします。


    <生徒の声>

     大阪で生まれ育った僕は、学園に入学するまで蛍をみたことはありませんでした。昨年、見事な光の舞と感動的な出会いをし、「よし、自分で育ててみよう」と保存会に入りました。今では、蛍とともに過ごす毎日です。1日1日の幼虫の世話を通し、生命の大切さを肌で感じることができました。「蛍のいるところこそ平和の天地」との信念で、これからもがんばります。
    (高校2年 部長 高桑 清人)

     私は岐阜県出身で、幼い頃、祖父に連れられて、近くの川に蛍を見に行くのがとても楽しみでした。今では、ほとんど見られなくなってしまいました。私が今蛍を育てているのは、祖父との想い出を大切にしたいからです。そして、できるだけたくさんの子どもたちに蛍を見てほしい、自然とふれあうチャンスを増やしてほしいと思っています。
    (高校2年 飯田 潤子)

     たくさんの蛍を育てるには、一人ではできません。協力しあい、助け合う「友情の大切さ」を学びました。そして何とかなるでは何ともならないことを痛感しました。デリケートな蛍は、私に、その命を賭して「真剣に生きる」ことを教えてくれました。失敗を繰り返す中育てた蛍・・・今夏、蛍の川で見た光の輝きは、私の心の灯火となりました。
    (高校3年 村山 清美)

    以上


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