
第1巻第1号
2001年5月8日 発行
創価学園 野鳥・自然環境研究所の別海・霧島・八重山・霧ヶ峰・箱根・庵治など6つのフィールドは、野鳥をはじめ動植物など豊かな自然環境の広がる、貴重な研究フィールドです。
当研究所は、これらのフィールドで、動植物などの基礎調査活動、稀少鳥類等の保護活動、自然環境セミナーなど、自然環境保護の意識啓発と保護保全の活動に取り組んできました。
特に、創価学園の児童生徒たちにとって、豊かな大自然にふれるサマーセミナーなどは、自然環境保護の意識啓発と、「平和」と「共生」の世界市民育成を目指す、生きた教室となってきました。
こうした活動を支える委嘱研究員・研究員の方々の調査・保護活動の報告はもとより、各校で生徒とともに取り組んだ自然環境教育の実践報告などを、「野鳥・自然環境研究所報告」として随時レポートして参ります。
このたびの第1回の報告では、牛澤信人委嘱研究員が「別海フィールドの地形・地質のあらまし」について、別海フィールドがどのようにして成立したのかを、平易に解説しています。 なお、専門的な論文は、当研究所のホームページ「別海フィールドの概要と特徴」(1991.6)をご覧ください。

![]() 第1図 北海道の湿原の分布(辻井、1963 に加筆) |
![]() 第2図 根釧原野の地形区分(第四期総研北海道グループ、1969 による) |
![]() 第3図 北海道研修道場の位置 |
![]() 第4図 北海道研修道場 |
地形に関して、ここでいくつかを指摘しておきましょう。
第3・4図に5、10など海抜標高(m)を示すいくつかの数字があります。20mを示す数字は、北海道研修道場の域外にあります。
すなわち、当研修道場の域内では、おおむね海抜10mより低い台地を作り、野付(のつけ)湾の方向に高さを減じています。
逆に、南南西方向の域外では、漸次高さを増しています。
域内は、第2図ではその地形面は、茶志骨(ちゃしこつ)面として区別されています。
この茶志骨面は、同地形図で広い面積を占める根釧原野面より新しく浮上した低く狭い段丘面であることを示しています。
すなわち、全体としては南西方向に傾動して持ち上げられた比較的平坦な面を形成しています。
第5図に示すように、およそ2万年前の洪積期末の最寒冷期に、海水準が百数十m下降したことが知られています。
北方四島(国後島)との間の海域は、深いところでも40m程度しかありません。
最寒冷期には、海水準低下によって海峡域は完全に陸化して、当幌川その他の川流は、国後(くなしり)島側の川流と合一して、深さ8,000mの日本海溝に流れ込んでいたものと思われます。
海峡付近で、深さおよそ50mの流跡が海底地形として残されています。
海水準低下によって、当時当幌川の本流は無論のこと、当道場内の「黎明の橋」のかかっている全長およそ2km程度の短い支流も、現在よりはるかに深く、およそ数10mのV字谷を形成していたと見てよいでしょう。
![]() 第5図 第四期末期における海峡の成立(地学団体研究会編、平凡社刊「日本の自然」より) |
![]() 第6図 野付崎の海水準変化に基づく発達模式図(岡崎、1989 による) |
その後、地球の温暖化に伴い、海水面が上昇するとともに、川の下刻作用は弱まり堆積作用(沖積作用)が優勢になりました。
上昇の極限に達したのが縄文前期の、今からおよそ6,000年前ころと考えられます。
川が蛇行をはじめたのは、この頃からであろうと思われます。
その後、縄文後期・晩期のおよそ3,000年前頃まで寒冷化が進みました。
泥炭形成が始められたのはこの頃からであったと思われます。
その後、多少の寒暖を繰り返し、いわゆる古墳寒冷期を経過して現在に至っています。
それと同時に、この寒暖が繰り返され、海水準が下降、上昇するのに伴って、海老の尻尾状の分岐砂嘴(さし)が形成されたのです。(第6図参照)
第5図は、7万年以降の洪積期の年代図を示しています。
さらに理解を深めるために、洪積期のおよそ1万年以降(第7図)とおよそ200万年以降(第8図)の年代図を示してあります。
![]() 第7図 変動する海水面 北陸海岸地方の後氷期における気候変化(藤、1975 による) |
![]() 第8図 第四期年代表(千代田書房刊「人類の誕生」、「生きている化石の謎」より) |
![]() 第9図 約2,000万年前(中新生)の日本列島(部分) (湊正雄他、1965 による) |
後者の網目の地帯では、およそ2,000万年前の中新世以降の地層が堆積しつつありましたが、今の知床方向を軸として次第に上昇に転じ、およそ800万年前頃(新第3紀鮮新世)からこのゾーン(帯)に沿って、熾烈な火山活動が始まりました。
さらに、数十万年前の洪積期の新期火山からの噴出物が、浅海を埋めるようして、厚い堆積物が広漠とした根釧台地を形成したのです。
特に、その上部では、現世噴出物である摩周の噴出物が最も優勢でした。
なお、「地下水」と「温泉」のことについて触れておきましょう。
地下水については、砂嘴(さし)(竜神崎)の上で放牧牛馬の飲料のために深度140mまで掘って、目的を達したことが記録されています。
深さからいって、野付湾の有る無しには深層地下水は全く関係ありません。
背後に、被圧状態の良好で広大な台地がありますから、場合によっては自噴性の深層地下水が得られる可能性が大きいと考えられます。
その場合、地下水の水温は、年間を通じておよそ摂氏7度であることはほぼ確かなことです。
経験から言いますと、区域内の深層では、第3紀以降の広大な火山性の熱源が、下層に潜在していて、温泉の湧出する可能性が大きいと思われます。
(牛澤信人:委嘱研究員、北海道大学名誉教授)
以上
